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ワイト島一周レース


昨年、スペインでおこなわれたレーザーマスターズワールドは、400杯超という空前の参加艇数でしたが、これは、私が今までに出たレースの中で、2番目に参加艇数の多いレースでした。

1番目は何かというと、10年ほど前に出たワイト島一周レース(クルーザーのレース)で、参加艇数1,500杯というのがありました。ワンデザインであるレーザーの400杯とは単純には比較できないにせよ、1艇に5人乗っているとすると7,500人、6人乗っているとすると9,000人が参加した計算になります。

コースは、カウズをスタートして反時計回りにワイト島を一周し、カウズに戻るというものです。ワイト島といえば、アメリカズカップ発祥の地として有名ですが、その時のワイト島一周レースとは逆回りです。

スタートは混沌の一言。どういうクラス順序でいつスタートしたかもわかりません。自艇のまわりには数百艇がいるのでまともに風が来るはずもなく、あちこちで接触、「プロテスト!」の声が飛び交います。かつての琵琶湖のサムタイム・ヨット・フェステバルもすごかったですが、それ以上です。それでもいつの間にかスタートし、レースの中盤には、ワイト島のまわりをヨットが数珠つなぎになります。

レースは、1つのクラスが40杯ほどになるように、40のクラスに分けられていました。どういう分け方をしているのか、自分が乗った船がどのクラスだったのかはわかりません。成績発表ではクラスごとに順位が壁一面に張り出されていましたが、これだけの杯数でよく順位が出せるものだと思いました。フィニッシュでは、何杯もの船が連続してフィニッシュラインになだれ込むのです。

レースの後はカウズの町に繰り出し、どのパブも超満員。人混みをかき分け、ビールも注文するのも一苦労です。それにしても外人は声が大きい。異常なまでの騒がしさの中でも普通に会話ができるのです。やがてパブに入りきれない人たちが、パイントのグラス(ビールのジョッキに相当)を持ったまま道にあふれ出し、そこでも大騒ぎ。そうしてカウズの夜は更けていくのであります。

ところで、サザンプトンとカウズに挟まれた「ソレント」と呼ばれる海域はヨットのメッカで、日曜日ともなるとたくさんのヨットでにぎわいます。

ソレントには定置ブイがいくつもあって、レースにはそのブイを使います。当日、どのブイとどのブイをどういう順番で回るかが示され、それがその日のコースになります。よって、ソーセージでも三角でもない、かなり変則的なコースになります。レース中は、ナショナル・キールボート・コーチなる人がゴムボートで走り回っていて、レース終了後、デイ・ブリーフィングと称していろいろなことを指摘してくれます。

ユニークなものとして、ソレント特製潮流虎の巻ともいうべきものがありました。ソレントの海図が書かれた円盤で、おちこちに穴が開いているものです。星座の早見盤のようにもう一つの円盤が重ねられていて、日時に合わせてそれを回すと、開いた穴に潮流の方向と強さが表示されるのです。こういうものが商品化されているところがすごいと言えます。

セーラーの溜まり場となるパブなども豊富で、「Solent Pub & Restrant」という面白い本があったのですが、売り切れ(絶版?)で買えなかったのが残念です。

2008年8月29日 西野・記


カウズ カウズのハーバー
カウズ (英国、1997年8月)
右の写真とともに、夏のカウズウィークの時のもの。ワイト島一周レースの時のものではないのであしからず。[画像クリックで拡大]
カウズのハーバー (英国、1997年8月)
このころはまだアドミラルズカップがあったので、新鋭レーサーも集まっている。[画像クリックで拡大]
ロイヤル・ヨット・スコードロン ハンブル・マリーナ
ロイヤル・ヨット・スコードロン (英国・カウズ、1997年8月)
アメリカズカップのきっかけとなったワイト島一周レースを主催した歴史あるスコードロン。赤白の屋根の下は全面窓の広いフロアになっていて、カウズに出入りする船を一望できる。レース後のレセプションでは英国海軍のバッジを付けた退役軍人とおぼしき人たちも。 [画像クリックで拡大]
ハンブル・マリーナ (英国・サザンプトン、1999年7月)
こちらはカウズの対岸のハンブル。川に桟橋を作ってたくさんのヨットを停めている。グーグルマップで拡大して航空写真を表示すると、その多さがわかります。日曜日の夕方、レースを終えた船が怒濤のごとくハンブル川を遡って来るのは圧巻。[画像クリックで拡大]



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